研究の学術的背景

従来、アメリカ研究の流れの中では、アメリカという主体の形成過程を追う言説が主流であった。しかし、近年、アメリカと非アメリカとの境界の規定法について、空間的・時間的に新しい枠組みが提示されている。北アメリカ大陸内の合衆国領土の中で行われてきたアメリカ研究は、地球規模の枠組みの中で再編成されつつあるのである。北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、カリブ地域、ヨーロッパ大陸、そしてアフリカ大陸やアジア大陸をも入れた空間の中で、アメリカが自己の内部と外部とを時代の要請によって定義しつづけてきた様子が、Wai Chee Dimock, Gretchen Murphy, Jonathan Aracなどによって研究されている。

そうした中、1823年、第七回年頭教書としてモンロー大統領の口から発せられて以来、「モンロー・ドクトリン」はアメリカ的自己決定のレトリックとしてアメリカ国家の中で変奏され続け、その結果、「世界におけるアメリカ合衆国の位置に意味を持たせるための語り口(narrative)を提供」(Grechen Murphy)してきたのである。各時代の要請に従う形で意味を付加されてきたモンロー・ドクトリンは、「自由・平等」という理念の普遍性を世界に広めようとするアメリカ的意識を言語効果として生み出し、結果的にはそれを帝国主義的欲望へと変質させたのである。

近年、アメリカの批評界では、アメリカ研究という地域研究の枠を「半球思考」という大陸間的視野の中に設定し、さらには「プラネット」規模にも広げようとする動きが始まっている。本研究はそうした流れの中にあって、アメリカ文化の諸相(文学、演劇、音楽他)の中で、モンロー・ドクトリン的言説効果がどのような形をとって表れているかをさぐり、19世紀後半から20世紀末までのアメリカ文学を、大陸間的規模で読み直すことを目指している。

本研究の代表者は、2005年から2008年の3年間、成蹊大学アジア太平洋研究センター研究プロジェクト「アメリカの表象」の研究代表者をつとめ、他の3人の研究分担者も、同研究プロジェクトのメンバーとして共同研究を行った。「アメリカの表象」プロジェクトは、アメリカという実体を総合的に見ることを目指していたが、研究会を重ね研究成果出版のために原稿を整える段になると、執筆者の多くがアメリカ文化内部へのまなざしを共有していることが判明し、そこから「恐怖」(テロ)という心的ダイナミズムが浮き上がってきた。このプロジェクト研究成果は、2009年6月『アメリカン・テロル』として彩流社より出版された。出版後4ヶ月になるが、朝日新聞では「全体を部分が壊す米歴史の記憶」(2009年8月30日、書評者:高村薫)という見出しで書評欄に取り上げられ、『図書新聞』では、「いかにアメリカ文化は『内なる敵』に抗してきたか」(2009年10月31日、書評者:麻生亨志)という切り口で紹介された。

本研究は、『アメリカン・テロル』の成果をふまえ、それを二つの点から発展させようとするものである。一つ目としては、「恐怖=テロ」という心的ダイナミズムを、今度は「欲望」という点から読み替えてアメリカ的内包運動に対する新たな解釈を目指すことである。二点目としては、従来、西へ向かうとされているアメリカ的欲動の陰に、南へ向かう内包衝動が別にうごめいていた可能性をさぐることである。

この二つの点は一見関わりが薄いもののように見える。しかし、西漸運動が、理想主義の認可を受けた上での表向きのアメリカ的自己拡張運動であるとすれば、南へ向いた垂直方向の拡大は、アメリカ文化の中で抑圧されてきた欲動によって推進されてきたのである。同質性で空間を充満させようとするのが共同体の欲望であるとすれば、逆に異質なるものの監視と排除の心理を分析するとき、そこに「恐怖」の本質が見えてくる。『アメリカン・テロル』では、排除された側が内部の他者として恐怖=テロの火種を蓄積する驚きを「内なる敵」として議論の俎上にのせた。それを受けて、本研究はで、外なる他者を内に取り込もうとうる欲望そのものに目をむけてその恐怖の発生源をつきとめるのに、南へむかって同質性を広めようとする半球思考によって検証しようとするものである。

そこで梃子として使用したいのが、モンロー・ドクトリンの言説効果である。モンローの言葉にアメリカ的解釈が付加され、ついには「教義(ドクトリン)」にまで仕立て上げられたこの政治的プロパガンダは、一見、西半球(二つのアメリカ大陸)を東半球(ヨーロッパ)から独立させ干渉を受けないようにという保護のレトリックと見える。しかし、その中には「北アメリカが南アメリカを支配していく構想が封じ込められて」(巽孝之「ミシシッピの惑星」、田中久男監修・亀井俊介・平石貴樹編著『アメリカ文学研究のニュー・フロンティア―資料・批評・歴史』所収)おり、アメリカ的単独主義は帝国主義的欲望への燃料となっていくのである。

我々が19世紀、20世紀そして9/11同時多発テロを通して見て来たものは、植民地という「部分」として出発したアメリカが、国家という「全体」へと成長しただけでは足りず、外界を「内包」する衝動をグローバル規模で実行しようとしてきた歴史である。21世紀の今、これは、アメリカ一国の問題ではなくグローバル規模で見直すべき課題となっている。本研究では、国家の欲望が恐怖と分かちがたくからんでいること、理想主義を掲げて建国され民主主義という壮大な実験をしてきたアメリカが西への欲望を南へ向けたことを前提として確認したうえで、大陸という境界を越え大陸間規模で世界を内包しようとすることについての洞察を21世紀社会へむけて提言したいと思っている。「テロ」や「核」についての新たなる言語がそこから生まれてくる可能性を提示できるのは、人文研究の仕事であると考えているからである。

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