モンロー・ドクトリンに宿るprotectionのレトリックとcontrolのレトリックについて、歴史的な経緯をたどりつつ、それを恐怖と不安という心理的側面から再検証する。アメリカ的欲望の陰にあるものが恐怖(テロ)であるという洞察は『アメリカン・テロル』で提示したテーマであるが、現在、成蹊大学アジア太平洋研究所プロジェクトにて、「アメリカの暴力」プロジェクトが進行中であり、下河辺、日比野が研究メンバーとして加わっている。2010年度は最終年にあたるため、アメリカの政治、外交、文化の中の暴力の本質についての洞察を提示する予定である。本研究ではその成果を受けてアメリカ的欲望のあり方のうち、西漸運動という表向きの方向の陰にある南漸運動的方向性を求め、最終的には南極というトポスを目指す可能性を検証する。ヨーロッパがアメリカに求めた処女地としてのトポスを、20世紀アメリカを中心とした半球思想の流れが南の極地に求めたとすれば、これは、グローバル的な視野における歴史文化的概念となりうる可能性を秘めていると思われ、本研究によってきちんとした成果が得られれば、アメリカ研究において新たなる方向性を示唆することができると期待される。
①モンロードクトリンという政治言説が文学的テクストとして読まれてきた事例をたどり、文学テクストの中にMDが再生産されていることを検証する。下河辺は19世紀後半から世紀転換期のテクスト(Lydia Maria Child、Mark Twain, Kate Chopin, etc)を取り上げ、巽は20世紀前半のテクスト(William Faulkner, etc)のほか、遠藤周作、大江健三郎、小松左京など日本文学も論じる予定。
②舌津はモダニズム期から冷戦期までの文学およびポピュラー音楽を取り上げて、複数形アメリカ(南北アメリカ)の表象を見ていく。文学テクストとしてはクロード。マッケィ、ハート・クレインなどの詩を、音楽としては、アメリカのポピュラー音楽におけるラテンアメリカの影響をさぐり、そこにカリブおよびアフリカ大陸を融合させたとき、抑圧されている南アメリカ的要素がどのように出てくるのかを、文学・音楽・政治を連動させて考えていく。
③日比野は2010年度に行った大衆文化における南米的イメージ研究を、50年代アメリカの大衆文化にどのように浸透・拡散しているのかという問題に発展させる。ゲイのアイコンにもなったカルメン・ミランダのイメージが『アイ・ラブ・ルーシー』や『トムとジェリー』などのテレビ、映画、舞台で女装した男優によるパロディとなり、保守的・内向的文化の「過剰な外部」としてのラテンアメリカの表象となっている点を検証していく。
④以上、本研究の目的は、モンロー・ドクトリンの行為遂行的効果をアメリカの歴史の中でたどり、アメリカ的欲望の新しい姿を探索するというものであり、政治文書、文学テクスト、大衆文化をとりあげて研究するのである。しかし、その先にはもう一つの目的が配置されている。それは、拡張・支配・所有の欲望についての政治、軍事、経済、文化の各層は、19世紀以来アメリカ的レトリックが作り上げてきたことを前提に、アメリカ研究者から現代社会にむけて提言を模索することである。ことに、テロと核の問題は21世紀世界の運命をにぎっていると考えられる。本研究の成果として、モンロー・ドクトリンの言語分析を、テロと核についての新しい言語をつなぐことが出来ることを期待する。