2010年度第3回研究会:アメリカン・ルネッサンス70周年

日本アメリカ文学会東京支部 12月シンポジウムへの協賛企画です。

2010年12月11日(土)14:00〜16:00 慶應義塾大学三田キャンパス西校舎513番教室

司会: 巽 孝之(慶應義塾大学教授)
講師:高尾直知(中央大学教授)
斎木郁乃(東京学芸大学准教授)
武藤脩二(中央大学名誉教授)
今福龍太(東京外国語大学教授)

2010年の今年、アメリカン・ルネッサンスという言説的準拠枠をいまいちど考え直してみることの意義は、まず今年 2010年が画期的なアメリカ・ロマン派文学史『アメリカン・ルネッサンス』の著者であるハーヴァード大学教授F・O・マシーセンの没後 60周年にあたること、つぎに来年 2011年が 『アメリカン・ルネッサンス』 American Renaissance(1941年)の刊行 70周年にあたること、そしてこの大著の邦訳が、ついに近々刊行されることになったということに求められる。19世紀半ばのこの時代とマシーセンによって設定された批評的準拠枠は、いかに批評理論が変動してもたえず批判的に発展させるべき対象で在り続けており、とりわけ 1980年代にデイヴィッド・レナルズの新歴史主義批評的再解釈が導入され、新世紀にガヤトリ・スピヴァクがポストコロニアリズムの新局面を示す惑星思考を提唱したのちには、グレッチェン・マーフィがモンロー・ドクトリンの半球的想像力を、ワイ・チー・ディモクが北米大陸を超える間大陸的想像力を、ひいてはユンテ・ホアンが異なる言語圏を共振させる環太平洋的想像力を文学的分析の新戦略として構想してきている。 9.11同時多発テロ勃発以後、北米外部の視線を積極的に取り込むようになったアメリカ批判の波が、ひとつの遠心的傾向を生み出したのは疑いない。
だがまったく同時に、つい最近、ハーヴァード大学が ジェンダーとセクシュアリティをめぐる研究の分野でF・ O・マシーセンを冠にした訪問教授の資格を設けるべく募金活動を行い、 2009年には目標額を集め終わり、いよいよハーヴァード大学に初代の F・O・マシーセン教授が誕生することになった経緯をふりかえってみるならば、少なくとも マシーセン存命中の 20世紀前半には不可能だった言説空間が21世紀のいまだからこそ成立したことの意義が浮かび上がるだろう。マイケル・ギルモアは最新刊で南北戦争前後、黒人奴隷制廃止前後に通底する言論検閲や自主規制を分析したが、その問題はとりもなおさずマシーセン自身が痛感したであろう同性愛差別および左翼弾圧に支配された言説空間にもあてはまる。文学テクストと時代的コンテクストの連動は、文学を語る批評家自身の修辞法(スピーチアクト)とそれを取り囲む言論の自由(フリースピーチ)の許容範囲の相互交渉という、文学研究においては最も深刻な問題をも再考させてやまない。そしてこれもまた、 9.11同時多発テロが特定の宗教を封じ込める言説空間を生み出してしまった経緯の産物なのである。ここには、アメリカン・ルネッサンスの求心的傾向を再確認することができる。
してみると、 21世紀の現在、ポストコロニアリズム批評や文化研究の成果を経て、マシーセン・キャノンが北米外部へと境界を超え、かつての環大西洋的発想のみならず環太平洋的構想をも含む方向へ批判的発展を示すようになったいっぽう、アメリカン・ルネッサンスの作家たちが同時代の言説空間における空気を読み取り、それを生き抜く独自の言語的表現手段を編み出すべく模索せねばならなかった北米内部の苦闘をも再確認する動きが展開していることが判明しよう。アメリカン・ルネッサンス研究は今日、アメリカ文学研究のみならずアメリカ研究の将来をも展望するかたちで再始動し始めているのである。
以上の理論的現状をふまえたうえで、今回のシンポジウムは多様な視座からアメリカン・ルネッサンスの言説的準拠枠を再検討する。
高尾直知氏は、ホーソーン研究の立場よりソファイア(やメアリ・ピーボディ・マン)を通じたキューバとホーソーンとの関係を探る見方から、群島世界論や惑星思考、半球思考に通じる方法論を模索し、『アメリカン・ルネッサンス』共訳者のひとりとして、マシーセンの「アメリカン・ルネッサンス」とも通じ合う部分を掘り起こす。さらに現今のコミュニタリアニズムとブルック・ファームのコミュニタリアニズムにはさまれたマシーセンの姿勢をも考察する。
斎木郁乃氏は、メルヴィル研究の立場より”The Encantadas”におけるガラパゴス諸島をポストコロニアルの視点から読み直し、シェイクスピアの『テンペスト』との関連もさることながら、ダニエル・ブーンを経て同作品が「明白な運命」とも連動している可能性を吟味する。
武藤脩二氏は、モダニズム研究の立場から、 20世紀から 19世紀をふりかえったマシーセンの歩みそのものをふりかえり、『アメリカン・ルネッサンス』にいたる二つの流れ、ブルックス、アーヴィンを継承する《アメリカン・ルネッサンス》文学史形成の流れ、及びアーヴィンとマシーセンのホモソーシャル(ジューエット、キャザーなども絡めて)と《アメリカン・ルネッサンス》期のホモソーシャル傾向との共振に焦点を当て、まさにこのホモソーシャル傾向が超絶主義、社会主義とキリスト教のコミューン思想といかに密接な関係を保ってきたかを辿り直す。
そして今福龍太氏は、文化人類学の立場から、近書『群島 =世界論』のヴィジョンを発展させて、ひとつにはミシシッピ川流域を現実的/認識的経路としてつくられてゆくアメリカ(汎アメリカ)的カウンターヒストリー(ヒューストン・ベイカー/ヴァルター・ベンヤミン論の方向性を、さらにマルティニックのグリッサンや特異な民族学者=ジャズ・トランペッターのジャック・クルシルの最近のチェロキー研究などにむすびつけてゆくもの)、そしてもうひとつには米西戦争以後のカリブ・環太平洋島嶼世界を、エペリ・ハウオファ(フィジー)やニール・ガルシア(フィリピン)らの群島ヴィジョンをてがかりに見直し、海の大陸的領有原理と群島原理のせめぎ合いの過程を検証していく予定である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です