本研究は終了しました

本研究は2010年度から2013年度まで実施され、所期の目的を達して終了しました。

2014年度より、4年間の予定で、科学研究費・基盤研究(B):「マニフェスト・デスティニーの情動的効果と21世紀惑星的想像力」が同じメンバーによって実施されます。この研究についての新しいサイトはこちらにあります。

最終年度特別シンポジウム

最終年度特別シンポジウム
21世紀のモンロー・ドクトリン

2014年3月29日(土) 14:00~17:00
成蹊大学10号館2階 第2中会議室

今年は、本研究の最終年度となりますので、過去4年間の研究成果を総括し、今後の新たな課題を明確にすべく、研究分担者4名による特別シンポジウムを行います。1823年に出されたモンロー・ドクトリンからやがて二世紀を迎えようとするいま、ますます混迷の度合いを深める21世紀社会に向けて、人文研究が何を提言しうるのか/すべきなのかについて、多角的な洞察をみなさんと共有することができれば幸いです。

司会:下河辺美知子
MDプロジェクトの概要および4年間の研究報告

講師:日比野啓(成蹊大学)
「ラティーナ」の他者表象 ―― カルメン・ミランダと「南米もの」ミュージカル

一見すると二〇世紀アメリカ文化におけるラティーノ/ラティーナ表象は前世紀の黒人表象のそれ——すなわちコミュニティの周辺部に位置しつつ文化的劣位というスティグマを負わされている「二流市民」——を踏襲したものであり、セクシュアリティにおいても黒人同様、「野獣に近い」性的エネルギーを持った存在として描き出されてきたように思える。一方、南米のパリと言われたブエノスアイレスをその筆頭に、ヨーロッパ文化を色濃く残す南米諸国の文化的現実もまた、善隣政策以降のアメリカ人にとって身近なものとなっていった。その結果、「ラティーナ」の他者表象は奇妙な二重性を帯びることとになる。文化的洗練と「下品さ」の混淆。「解放された」セクシュアリティと、その抑圧。カルメン・ミランダ(1909-1955)が「善隣外交」政策の担い手として活躍した戦前戦中だけでなく、戦後も引き続き合衆国のアイコンとなったのは、彼女がこのような二重性を体現した存在であると目されていたからに他ならないが、同時にそれは戦後のアメリカ社会そのものの二重性でもあった。

講師:舌津智之(立教大学)
「長崎の鐘」の音楽的地政学 ―― 戦後歌謡と(ラテン)アメリカ

短調から長調に転調する「長崎の鐘」を、戦後に流行した「ルンバ歌謡」の変奏と位置づけたうえで、米西戦争と「善隣政策」を背景にキューバから広まったルンバ音楽の歴史を概観し、そのエッセンスを取り入れたこの歌が、キリシタン/カトリックのヨーロッパと、モンロー・ドクトリンの(ラテン)アメリカとのあいだに引き裂かれていることを確認しつつ、福島を経た現代の視点から、長崎をめぐる原爆表象の行為遂行的効果を考える。

講師:下河辺美知子(成蹊大学)
球体の上のアメリカ ―― planet の濫喩/globeの濫喩

このプロジェクトは、地球という球体を、どこに立ってどのように見るかを考えるものであった。20世紀グローバリズムの価値観のみを浮き上がらせて世界を見る“めがね”をかけさせられた我々が、アメリカという枠の中でしか地球を語れなくなっているとすれば、どのようにしてそこから自由になれるのか。スピヴァクはグローバリズム批判の行為を始めるために「planetをcatachresis(濫喩)として見ること」を提唱している。本発表ではこれを逆手にとり、彼女がoverwrite してしまえと言った globe という言葉のシニフィエを追い、「globeのcatachresis(濫喩)」を提示して21世紀のグローバリズムに対する新たなレトリックの可能性を考える。そこから、Yunte Huang, Gary Okihiroなどを経由して太平洋への視座をさぐり、地球という球体を見る視座を大西洋から太平洋へ置き換える試みを目指すため、Melville “The Encantadas” や “Typee” の読みの展望をさぐりたい。

講師:巽孝之(慶應義塾大学)
夢見る半球 ―― ケネディ、ヤマシタ、ブロムカンプ

J・ F・ケネディをめぐってはキューバ・ミサイル危機がモンロー・ドクトリン危機でもあったことを、カレン・テイ・ヤマシタをめぐっては日論戦争以後の黄禍論にもとづく「紳士協定」が日系移民の北米移住を制限し南米移民が始まるきっかけであったことを、ニール・ブロムカンプをめぐっては映画「第9地区」におけるヨハネスブルクと「エリジウム」におけるメキシコ化したLAとが互換的であり、南米と南アが二重写しになっていることを、語る。

***関心をお持ちのかたのご来聴を歓迎いたします。会場整理の都合上、前日までに日比野(hibinoあっとまーくfh.seikei.ac.jp)にメールでご一報くださるようにお願いいたします。
***また、シンポジウム終了後、同会場にて、簡単なワインパーティー(17:00~18:00)を開きます。無料でご招待させていただきますので、お時間のある方はぜひ、こちらにもご参加ください。

2013年度第3回研究会:ブラック・パシフィック・ナラティブ:大戦間の地理的想像力とアフリカ系アメリカ文学

2014年1月13日(月・祝)14:00-16:00
成蹊大学10号館2階 第2中会議室

講師:竹谷悦子

講師紹介
筑波大学大学院教授。アメリカ文学。単著に The Black Pacific Narrative: Geographic Imaginings of Race and Empire between the World Wars (University Press of New England/Dartmouth College Press, forthcoming), U.S. Women Writers and the Discourses of Colonialism, 1825-1861 (University of Tennessee Press, 2003)。

本発表では、アフリカ系アメリカン文学の「ブラック・パシィフィック・ナラティブ」とそれを可能にした環太平洋をめぐる大戦間の地理的想像力を探る。私たちが現在でも見慣れている世界地図は、16世紀に航海用として考案されたメルカトル図法に依拠したものである。この伝統的な「大西洋」中心のメルカトルの世界観は、大戦間のアメリカにおいて、新たな地図投影法によって修正されていくことになる。そして、この地理的想像力の転回と連動するかのように、アメリカの外交政策は、モンロー・ドクトリン、ワシントン・システムを通して環太平洋の地域システムを構築していく。本発表では、W・E・B・デュボイスらのアフリカ系アメリカ作家たちが、米英主導の地域システムと対峙する日本の「東亜の新秩序」、「大東亜共栄圏」、「ユーラシア大陸ブロック」との間で、どのような物語を生成していったかを考察する。

2013年度第2回研究会:トランスアトランティック・メルヴィル

2013 年 11 月 23 日(土) 18:30-20:30

成蹊大学10号館2階 第2中会議室

基調発表:「メルヴィルと環大西洋――往還するディプティック的想像力」

講師:西谷拓哉(神戸大学)

ワークショップ:「“The Paradise of Bachelors and the Tartarus of Maids”を読む」

加藤惠梨香(立教大学大学院博士課程)

田ノ口正悟(慶應義塾大学大学院博士課程)

菅原大一太(成蹊大学非常勤講師)

コメンテイター:西谷拓哉

本基盤研究(B)は、「全体性」を志向する欲望と「部分」であることへの不安を刻印するモンロー・ドクトリンの普 遍的な力学に注目しつつ、この言説がアメリカ文学・文化の空間的および時間的位相を定義づけてきた歴史的経 緯をグローバルに検証する試みである。

今回は、大西洋を横断するハーマン・メルヴィルの想像力について考察する。『白鯨』その他の海洋小説を書い たメルヴィルは、南北アメリカ大陸からポリネシア、ハワイ、日本に至る環太平洋地域を見据えていたのみならず、旧世界と新世界をめぐるトランスアトランティックな地政学的交渉にも多大なる関心を寄せていた。とりわけ「二枚折り絵」小説(diptychs)と呼ばれるメルヴィル中期の短編3作品は、英米の対照を浮き彫りにする二部形式を用いることで、彼の環大西洋的想像力を如実に映し出すテクストとなっている。

まず基調講演では、西谷拓哉氏が、『レッドバーン』から上記短編を経て『イズリアル・ポッター』に至る、英米両国を舞台とする小説と英国旅行日誌を概観しながら、メルヴィルが「行って戻ってくる」という旅の性質を作品にどのように形象化したのか、「二枚折り絵」という発想がいかにして生まれてきたのかを考察する。
その後はワークショップ形式とし、「二枚折り絵」小説の中から “The Paradise of Bachelors and the Tartarus of Maids”に焦点を絞り、そのトランスアトランティックな作品世界の諸相について若手研究者3名にそれぞれの 視点から分析を行って頂く。あわせて、フロアーからも活発なご質問・ご意見を頂ければ幸いである。

関心をお持ちのかたのご来聴を歓迎いたします。会場整理の都合上、前日までに日比野(hibinoあっとまーくfh.seikei.ac.jp)にメールでご一報くださるようにお願いいたします。

2013年度第1回研究会:世界文学とユートピア:J・M・クッツェーの21世紀

2013年5月6日(月・祝)16:00-18:00 成蹊大学10号館2階 第2中会議室

講師:中井亜佐子

講師紹介 一橋大学大学院言語社会研究科教授。英文学(モダニズム、現代英語文学)。単著に『他者の自伝―ポストコロニアル文学を読む』(研究社、2007年)、The English Book and Its Marginalia: Colonial/Postcolonial Literatures after Heart of Darkness(Rodopi, 2000)。共編著に『〈終わり〉への遡行―ポストコロニアリズムの歴史と使命』(英宝社、2012年)、『ジェンダー表象の政治学―ネーション、階級、植民地』(彩流社、2011年)。

 「世界文学」(Weltliteratur) はゲーテの理念として知られるが、マルクス=エンゲルスは『共産党宣言』の中で、複数の国民文学から一つの世界文学が形成される過程を、ブルジョア階級が世界を従属させていくプロセスとして再定義した。翻訳を介すことなく流通し、グローバルな文学市場を席巻する現代英語文学は、まさにこの意味での「世界文学」だと言えるだろう。

 現代の著名な英語作家の多くは活動の拠点を英米に置いているが、J・M・クッツェーは2002年まで南アフリカに住み続けていた。彼の小説はアパルトヘイト期から黒人政権誕生後の南アのローカルな読者と、グローバルな知的階級読者という、異なるオーディエンスに向かって同時発信されていた。一方、オーストラリアに移住し、2003年にノーベル賞を受賞した後のクッツェーは、英語文学が世界文学、グローバル文学として消費される現状を、作品中で自ら批判的に問い直している。その思想は、ガヤトリ・スピヴァクからマルクスに遡るグローバリゼーション批判の系譜上に位置づけることができよう。本発表では、最新作 The Childhood of Jesus (2013) を手がかりとし、英語文学が普遍的な世界文学というユートピアの構想に失敗していく軌跡を、クッツェーとともに辿っていきたい。

関心をお持ちのかたのご来聴を歓迎いたします。会場整理の都合上、前日までに日比野(hibinoあっとまーくfh.seikei.ac.jp)にメールでご一報くださるようにお願いいたします。

2012年度第3回研究会:自然主義文学と動物表象

1月27日(月)16:30-18:30 成蹊大学10号館2階第2中会議室

基調発表
折島正司(青山学院大学)
「食える犬、食えない犬――フランク・ノリス、ジャック・ロンドンと動物」
ワークショップ
「Jack London, “The Bâtard” と “That Spot”を読む」
石山愛梨(青山学院大学博士課程)
濟藤葵(慶應義塾大学博士課程)
高瀬祐子(静岡大学/成蹊大学非常勤講師)
コメンテイター:折島正司

本基盤研究(B)は、「全体性」を志向する欲望と「部分」であることへの不安を刻印するモンロー・ドクトリンの普遍的な力学に注目しつつ、この言説がアメリカ文学・文化の空間的および時間的位相を定義づけてきた歴史的経緯をグローバルに検証する試みである。

今回は、アメリカの自然主義文学に焦点をあわせ、そこに頻出する動物の表象について考える。世紀転換期に隆盛を極めた自然主義とは、ダーウィニズムに加え、米西戦争が象徴するテクノロジーと帝国主義をその背景に持つ思潮であった。この時代、西漸運動が終わりを迎え、国内のフロンティアを失った米国は、その欲望のベクトルを南へ、そして太平洋へと転じていくことになる。そうした動きのなかで、機械より身体性を前景化する動物、物言わぬサバルタンとしての動物のうちに、自然主義作家たちは何を見出したのであろうか。

まず基調講演では、ノリスもロンドンも、人間と人間の区別・人間と動物の区別がそう上手ではないこと、だが二人には違いもあること、とりわけロンドンには人間と対等な個体としての犬がいること、そしてそれが競争的な個人主義イデオロギーの鮮明な形象化であることを、折島が論ずる。

その後はワークショップ形式とし、Jack London, The Call of the Wild, White Fang, and Other Stories (Oxford UP, 2009)より、上記の短編2作品を取り上げて、若手研究者3名にそれぞれの視点から分析を行って頂く。あわせて、フロアーからも活発なご質問、ご意見を頂ければ幸いである。

関心をお持ちのかたのご来聴を歓迎いたします。会場整理の都合上、前日までに日比野(hibinoあっとまーくfh.seikei.ac.jp)にメールでご一報くださるようにお願いいたします。

2012年度第2回研究会:Disappearing History: Scenes of Trauma in the Theater of Human Rights

以下は告知ではなく、ニューヨーク市立大学大学院人文学センター(Center for the Humanities, Graduate School of the City University of New York)で開催された第2回研究会の事後報告です。トラウマ研究で名高いキャシー・カルース・コーネル大学教授を講師にお迎えし、研究代表者の下河辺が司会を務めました。参加者は約60人で、下河辺のイントロダクションにつづき、カルース教授が50分程度お話をし、その後質疑応答が活発に行われました。

2012年10月26日(金)16:30〜18:30
ニューヨーク市立大学大学院スカイライトルーム
講師:キャシー・カルース(コーネル大学教授、人文学)
司会:下河辺美知子

英語の説明と、人文学センターのサイトの記録です。

How do we differentiate between the bewilderment of traumatic experience and truth? Where do conscious understanding and memory fail in the face of trauma? Join Cathy Caruth (Cornell University) as she considers the question of trauma through a reading of Ariel Dorfman’s play “Death and the Maiden”. Professor Michiko Shimokobe (Seikei University, Japan) will join Professor Caruth in discussion.

This event is part of the Comparative Literature Colloquium Series, and is co-sponsored by The Project on Monroe Doctrine and its Performativity in the 21st Century: Grants-in-Aid for Scientific Research sponsored by the Japan Society for the Promotion of Science (JSPS), the Comparative Literature Department, the French Department, and the Women Studies’ Certificate Program.

(翻訳)
トラウマ的体験という混乱状態と真実をどのように私たちは腑分けするのか? トラウマに直面して、理性的な理解と記憶が働かなくなるのはどこでなのか? アリエル・ドーフマンの戯曲『死と乙女』を読みながらキャシー・カルースがトラウマという問題を考察する。

この行事は比較文学コロキウムシリーズの一部で、日本学術振興会による科学研究費・基盤研究(B) 「モンロー・ドクトリンの行為遂行的効果と21世紀グローバルコミュニティの未来」、比較文学学部、仏文学部、女性研究プログラムの協賛により行われます。

Screenshot

2012年度第1回研究会:植民地を描き足すこと:アメリカ植民地期フィリピン(1901~1941)の地理・歴史教育にみる地理区分の変遷

7月30日(月)16:30-18:30 成蹊大学10号館2階第2中会議室

岡田泰平

講師紹介 成蹊大学文学部助教。フィリピン史・比米関係史。論文に「フィリピン脱植民地化における暴力の軌跡―1930年代の反フィリピン人暴動と暴力批判―」『歴史評論』2012年4月号 (No. 744) 「ナショナリズムとアメリカ植民地期のフィリピン人教員層―植民地における公共圏とその限界に着目して―」『成蹊大学文学部紀要』第47号, 2012年 「フィリピン学校ストライキ論― 1930年のマニラ高校ストライキを中心に―」『東南アジア―歴史と文化―』 第40号, 2011年など。

 アメリカ外交史の概念とされている「モンロー・ドクトリン」であるが、「アメリカ外交史研究は、まさに『モンロー・ドクトリン』の表象するものを中心に回っている」(西崎文子)と言われている。アメリカ外交は、「共和制」「民主主義」「自由」と、その時代によって目的とする言説を変えながらも、多大な暴力を伴う領土拡張や対外戦争を生み出してきた。
 本発表においては、「モンロー・ドクトリン」の影響の下で行われた米西戦争の結果、アメリカの支配下におかれたフィリピンの人々に焦点を当てて論じてみたい。特にアメリカ植民地となったフィリピンにおいて、彼らが受けた教育を扱う。「『モンロー・ドクトリン』の表象するもの」が植民地フィリピンの歴史・地理教育の教科書にどのように反映されたのか。また、そのような教科書に対して、どのような反論が提示されたのか。さらには、教科書の示す歴史・地理認識と、教科書に対抗する認識は、その後、どのように継承されていったのか、を論じたい。

関心をお持ちのかたのご来聴を歓迎いたします。会場整理の都合上、前日までに日比野(hibinoあっとまーくfh.seikei.ac.jp)にメールでご一報くださるようにお願いいたします。

2011年度第4回研究会:「最高経営責任者ターザン――米西戦争とローズヴェルトのインパクト」

2012年2月5日(日)16:00〜18:00 成蹊大学10号館2階第2中会議室

講師:小野俊太郎

講師紹介:文芸評論家・成蹊大学非常勤講師。文学研究・映画研究・ジェンダー研究。著書:『フランケンシュタイン・コンプレックス―人間は、いつ怪物になるのか』(青草書房、2009年)、『人間になるための芸術と技術―ヒューマニティーズからのアプローチ』(松柏社、2009年)、『モスラの精神史』(講談社現代新書、2007年)、『「男らしさ」の神話―変貌する「ハードボイルド」』(講談社、1999年)他多数。

 20世紀初頭に成立したアメリカ海兵隊の「海兵隊賛歌」は” From the halls of Montezuma / To the shores of Tripoli”と始まる。メキシコからリビアの沿岸までが活動範囲だという。海兵隊の紋章は西半球を中心に描かれているが、南北アメリカ中心で拡張主義的な欲望を体現するのがモンロー主義だとして、その質的な転換点はやはり米西戦争に求められるだろう。なぜなら、この戦争こそはフィルムに記録され、物流や戦略が研究され、科学的経営学を生みだしたものだからだ。
 米西戦争とその英雄テディ・ローズヴェルトの文化的な影響を考える上で、1912年に書かれた『ターザン』と『続ターザン』を参照したい。ハリウッド映画のイメージと異なり、近代社会の成功者となるターザンが描かれ、ジェーンへ求愛するためにアメリカへ渡ってライバルを蹴落とすことで結婚できる。ラフライダーズに参加できなかった作者バロウズが作品に込めたイデオロギーが、植民地経営と会社経営を重ねた新しいタイプの男性像を作り出していて、それがハリウッド映画を中心としたターザン神話の根底にあるのではないか。また、それはアメリカ南西部の先住民に注目した女性文化人類学者たちが、新しい人種像を見出しているのと拮抗している。こうした点を考慮しながら、ターザンが自学自習して自分の生活を経営していくヒーロー像を確立した道筋を考えたい。

関心をお持ちのかたのご来聴を歓迎いたします。会場整理の都合上、前日までに日比野(hibinoあっとまーくfh.seikei.ac.jp)にメールでご一報くださるようにお願いいたします。

2011年度第3回研究会:ナサニエル・ホーソーンと戦争:初期短編と後期作品をつなぐ新たな側面

日時:11月28日(月)18:30~20:30 
場所:成蹊大学3号館101教室

基調発表:髙尾直知(中央大学):「世界改良のアメリカン・ドリーム─『セプティミアス・フェルトン』再読」
ワークショップ:「ホーソーン短編と戦争」:
松井一馬(慶應義塾大学大学院博士後期課程):「タイコンデロガ砦」
大武佑(成蹊大学大学院博士後期課程):「エンディコットと赤い十字架」
横山晃(立教大学大学院博士後期課程):「おもに戦争問題について」
コメンテイター:高尾直知

本基盤研究(B)は、「全体性」を志向する欲望と「部分」であることへの不安を刻印するモンロー・ドクトリンの普遍的な力学に注目しつつ、この言説がアメリカ文学・文化の空間的および時間的位相を定義づけてきた歴史的経緯をグローバルに検証する試みである。
今回は、まさにモンロー教書の同時代ともいえる19世紀前半、「若きアメリカ」の拡張主義のただ中に身を置き、さらには政治的猟官によってその恩恵をどの作家よりも多く受けながら、それでもなお時代を批判しつづけた作家ナサニエル・ホーソーンの初期短編と後記作品を取りあげる。執筆活動の最初期から、アメリカの拡張を批判していたホーソーンの基本理念とはなにか。あまりにも簡単に「曖昧」とされてきたその作品の底流に流れる、根本的な政治意識を明らかにして、21世紀的問題にも棹をさすホーソーン読解の指針を明らかにしたい。
まず基調発表では、これまで等閑視されてきたホーソーンの遺作『セプティミアス・フェルトン』から、南北戦争のさなかの最晩年、ロマンス執筆と格闘することで、同時にアメリカ的イデオロギーの発現とも格闘したホーソーンの批判意識を明らかにする。ついで、ワークショップにおいて、ピューリタン以来戦争によって自己規定しつづけるアメリカに対し、ホーソーンがいかなる政治的中間地帯を文学的に想像・創造しようとしたか、そのようすを「タイコンデロガ砦」(1836)、「エンディコットと赤い十字架」(1838)、「おもに戦争問題について」(1862)という作品を通じて考える。それにより明らかになるのは、従来保守的とも逃避的とも目されていたこの作家の、現実主義であり批判性であろう。

関心をお持ちのかたのご来聴を歓迎いたします。会場整理の都合上、前日までに日比野(hibinoあっとまーくfh.seikei.ac.jp)にメールでご一報くださるようにお願いいたします。