2010年度第4回研究会:チャイニーズ・ボックスとしてのネイティヴ―バルガス・リョサとウチュラハイ事件を中心に―

2011年2月21日17:00〜19:00 成蹊大学10号館2階第2中会議室

講師:細谷広美(成蹊大学文学部教授)文化人類学、ラテンアメリカ地域研究

講師紹介:京都文教大学文化人類学部講師、神戸大学国際文化学部助教授、神戸大学大学院国際文化学研究科教授を経て現職。
著書:『アンデスの宗教的世界』明石書店、『植民地主義と人類学』(共著)関西学院大学出版会、『ペルーを知るための62章』(編著)明石書店、『他者の帝国』(共著)世界思想社他

グローバル化の進展は、英語圏とラテンアメリカ世界の間に統合と排除の関係を生みだしてきた。ラテンアメリカ世界のエリート層は、「ネイティヴ」としてラテンアメリカ世界を翻訳/代弁してきているが、ラテンアメリカのスペイン語圏のなかには、さらに先住民言語とスペイン語間の関係が存在する。そこには植民地主義の遺産としての人種差別が根強く存在するとともに、階級と民族、文化が密接に結びついてしまっているという状況がある。また、いわゆるインディヘニスモ(先住民主義)は、先住民ではない人々によって担われてきた。
本発表では、ペルーの紛争下でおこったウチュラハイ事件を基軸に、先住民世界とスペイン語を話す人々の世界、そして国際社会の関係についてみていく。あわせて、ペルーの紛争や真実和解委員会を中心とする紛争後の平和構築のプロセスの分析を通じて、特に冷戦終結後、欧米以外の諸国にもそのaccountabilityが要求されるようになった「人権」や「民主主義」が、ペルーというローカルな現場においてどのような様態をとるかについて文化人類学の視点から考察する。

*ウチュラハイ事件は、1983年に8名のジャーナリストが、アンデスの先住民村(インカ帝国の公用語であったケチュア語話者の村)で殺害された事件である。この事件は国際的関心を集めるとともに、ペルー国内では現在にいたるまで議論が続けられてきている。事件当時、調査委員会の委員長には、昨年ノーベル文学賞を受賞したバルガス・リョサが任命された。委員会による調査後、バルガス・リョサがこの事件について書いた文章は、日本では「ある虐殺の真相」というタイトルで世界文学全集(集英社)におさめられている。
*ペルーの紛争は、1980年~2000年に独立後最大の約7万人の死者及び行方不明者を生み出している。このうち75%は先住民言語の話者であった。

2010年度第3回研究会:アメリカン・ルネッサンス70周年

日本アメリカ文学会東京支部 12月シンポジウムへの協賛企画です。

2010年12月11日(土)14:00〜16:00 慶應義塾大学三田キャンパス西校舎513番教室

司会: 巽 孝之(慶應義塾大学教授)
講師:高尾直知(中央大学教授)
斎木郁乃(東京学芸大学准教授)
武藤脩二(中央大学名誉教授)
今福龍太(東京外国語大学教授)

2010年の今年、アメリカン・ルネッサンスという言説的準拠枠をいまいちど考え直してみることの意義は、まず今年 2010年が画期的なアメリカ・ロマン派文学史『アメリカン・ルネッサンス』の著者であるハーヴァード大学教授F・O・マシーセンの没後 60周年にあたること、つぎに来年 2011年が 『アメリカン・ルネッサンス』 American Renaissance(1941年)の刊行 70周年にあたること、そしてこの大著の邦訳が、ついに近々刊行されることになったということに求められる。19世紀半ばのこの時代とマシーセンによって設定された批評的準拠枠は、いかに批評理論が変動してもたえず批判的に発展させるべき対象で在り続けており、とりわけ 1980年代にデイヴィッド・レナルズの新歴史主義批評的再解釈が導入され、新世紀にガヤトリ・スピヴァクがポストコロニアリズムの新局面を示す惑星思考を提唱したのちには、グレッチェン・マーフィがモンロー・ドクトリンの半球的想像力を、ワイ・チー・ディモクが北米大陸を超える間大陸的想像力を、ひいてはユンテ・ホアンが異なる言語圏を共振させる環太平洋的想像力を文学的分析の新戦略として構想してきている。 9.11同時多発テロ勃発以後、北米外部の視線を積極的に取り込むようになったアメリカ批判の波が、ひとつの遠心的傾向を生み出したのは疑いない。
だがまったく同時に、つい最近、ハーヴァード大学が ジェンダーとセクシュアリティをめぐる研究の分野でF・ O・マシーセンを冠にした訪問教授の資格を設けるべく募金活動を行い、 2009年には目標額を集め終わり、いよいよハーヴァード大学に初代の F・O・マシーセン教授が誕生することになった経緯をふりかえってみるならば、少なくとも マシーセン存命中の 20世紀前半には不可能だった言説空間が21世紀のいまだからこそ成立したことの意義が浮かび上がるだろう。マイケル・ギルモアは最新刊で南北戦争前後、黒人奴隷制廃止前後に通底する言論検閲や自主規制を分析したが、その問題はとりもなおさずマシーセン自身が痛感したであろう同性愛差別および左翼弾圧に支配された言説空間にもあてはまる。文学テクストと時代的コンテクストの連動は、文学を語る批評家自身の修辞法(スピーチアクト)とそれを取り囲む言論の自由(フリースピーチ)の許容範囲の相互交渉という、文学研究においては最も深刻な問題をも再考させてやまない。そしてこれもまた、 9.11同時多発テロが特定の宗教を封じ込める言説空間を生み出してしまった経緯の産物なのである。ここには、アメリカン・ルネッサンスの求心的傾向を再確認することができる。
してみると、 21世紀の現在、ポストコロニアリズム批評や文化研究の成果を経て、マシーセン・キャノンが北米外部へと境界を超え、かつての環大西洋的発想のみならず環太平洋的構想をも含む方向へ批判的発展を示すようになったいっぽう、アメリカン・ルネッサンスの作家たちが同時代の言説空間における空気を読み取り、それを生き抜く独自の言語的表現手段を編み出すべく模索せねばならなかった北米内部の苦闘をも再確認する動きが展開していることが判明しよう。アメリカン・ルネッサンス研究は今日、アメリカ文学研究のみならずアメリカ研究の将来をも展望するかたちで再始動し始めているのである。
以上の理論的現状をふまえたうえで、今回のシンポジウムは多様な視座からアメリカン・ルネッサンスの言説的準拠枠を再検討する。
高尾直知氏は、ホーソーン研究の立場よりソファイア(やメアリ・ピーボディ・マン)を通じたキューバとホーソーンとの関係を探る見方から、群島世界論や惑星思考、半球思考に通じる方法論を模索し、『アメリカン・ルネッサンス』共訳者のひとりとして、マシーセンの「アメリカン・ルネッサンス」とも通じ合う部分を掘り起こす。さらに現今のコミュニタリアニズムとブルック・ファームのコミュニタリアニズムにはさまれたマシーセンの姿勢をも考察する。
斎木郁乃氏は、メルヴィル研究の立場より”The Encantadas”におけるガラパゴス諸島をポストコロニアルの視点から読み直し、シェイクスピアの『テンペスト』との関連もさることながら、ダニエル・ブーンを経て同作品が「明白な運命」とも連動している可能性を吟味する。
武藤脩二氏は、モダニズム研究の立場から、 20世紀から 19世紀をふりかえったマシーセンの歩みそのものをふりかえり、『アメリカン・ルネッサンス』にいたる二つの流れ、ブルックス、アーヴィンを継承する《アメリカン・ルネッサンス》文学史形成の流れ、及びアーヴィンとマシーセンのホモソーシャル(ジューエット、キャザーなども絡めて)と《アメリカン・ルネッサンス》期のホモソーシャル傾向との共振に焦点を当て、まさにこのホモソーシャル傾向が超絶主義、社会主義とキリスト教のコミューン思想といかに密接な関係を保ってきたかを辿り直す。
そして今福龍太氏は、文化人類学の立場から、近書『群島 =世界論』のヴィジョンを発展させて、ひとつにはミシシッピ川流域を現実的/認識的経路としてつくられてゆくアメリカ(汎アメリカ)的カウンターヒストリー(ヒューストン・ベイカー/ヴァルター・ベンヤミン論の方向性を、さらにマルティニックのグリッサンや特異な民族学者=ジャズ・トランペッターのジャック・クルシルの最近のチェロキー研究などにむすびつけてゆくもの)、そしてもうひとつには米西戦争以後のカリブ・環太平洋島嶼世界を、エペリ・ハウオファ(フィジー)やニール・ガルシア(フィリピン)らの群島ヴィジョンをてがかりに見直し、海の大陸的領有原理と群島原理のせめぎ合いの過程を検証していく予定である。

2010年度第2回研究会:テネシー・ウィリアムズの新世紀:越境する初期作品の再発見

2010年11月22日(月)18:30~20:30 成蹊大学10号館2階第2中会議室

基調発表:「世界を心に抱いて――『欲望という名の電車』と初期一幕劇」講師:相原直美(千葉工業大学)

ワークショップ:「Thank You, Kind Spiritを読む」

真野貴世子(成蹊大学・院)

小椋道晃(立教大学・院)

富山寛之(慶應大学・院)

コメンテイター:相原直美

本基盤研究(B)は、「全体性」を志向する欲望と「部分」であることへの不安を刻印するモンロー・ドクトリンの普遍的な力学に注目しつつ、この言説がアメリカ文学・文化の空間的および時間的位相を定義づけてきた歴史的経緯をグローバルに検証する試みである。

第2回となるこの研究会では、2011年に生誕100年を迎えるテネシー・ウィリアムズの初期作品を現在の視点から再考する。過去10数年の間に、未発表だった彼の戯曲は次々出版ないしは上演されており、劇作家の全体像は今もなお刻々と変化しつつある。そこで、ウィリアムズの新世紀を見据えるにあたり、まずゲストスピーカーの相原氏から、『欲望という名の電車』に加え、2005年に出版された一幕劇集、Mister Paradise and Other One-Act Plays(1930年代後半~40年代前半に書かれた未発表作品が中心)を論じて頂き、21世紀の今はじめて見えてくる初期ウィリアムズ像の輪郭を確認する。その後はワークショップ形式とし、上記一幕劇集の中から、Thank You, Kind Spirit を取り上げて、若手研究者3名にそれぞれの視点からこの作品を分析して頂く。

なお、Thank You, Kind Spirit は、『欲望』と同じくニューオーリンズを舞台とし、クレオールの女性霊媒師が登場する一幕劇である。カリブへと通ずる越境的な土地を背景に、人種、宗教、階級の問題を複合的に提起しつつ、魔女狩りの時代から連綿と続く他者排除のアメリカン・テロルをあぶり出すこの作品は、モンロー・ドクトリンの諸相を考える本研究会に格好の素材を提供するはずである。まだ「発表」されて間もなく、先行研究のない「新作」について、ぜひフロアーからも活発な議論をお願いしたい。

2010年度第1回研究会:モンロー・ドクトリンの歴史〜モンローからG.W.ブッシュまで

2010年76日(火)19:00~21:00 成蹊大学10号館2階第2中会議室

講師:西崎文子(成蹊大学教授)

アメリカ政治外交史。『アメリカ外交とはなにか』(岩波書店)、『アメリカ冷戦政策と国連』(東京大学出版会)、『戦後アメリカ外交史』(共著 有斐閣)、『アメリカ外交と21世紀の世界』(共著 昭和堂)他

アメリカ国家・文化は、「全体性」を志向する欲望と「部分」であることへの苛立ちの相克にたいしてどのように歴史を刻んできたか。本基盤研究(B)では、19世紀初頭にアメリカの外交政策方針を示したとされるモンロー・ドクトリンに注目しつつ、現代批評の最前線の洞察からこの点を明らかにしようとするものである。ことに、この言説がアメリカ国家の空間的・時間的位相を作り出してきた歴史的経緯を検証し、それによって、アメリカ文学・文化研究の重要性をグローバル規模で確認する。

第一回研究会では、アメリカ政治外交史の専門家である西崎文子氏をお招きし、モンロー・ドクトリンの歴史的変遷について話していただく予定である。「アメリカ外交を思想的な側面から分析することを研究課題とし、世界史的な視点から国際社会を規定してきた概念や思想を検討している」と言う同氏に、アメリカ外交政策の出発点であるモンロー・ドクトリンについて、歴史的パースペクティヴから話していただき、21世紀グローバリズムの中で、世界とアメリカとの関係にたいする洞察をさぐっていきたい。